新垣隆;映画「日本と原発」オリジナル交響曲の作曲イメージ・コンセプト
14/10/10
【交響曲収録直後の新垣隆・河合弘之対談より】
―まったく違うイメージを持つ2曲からなる2作目の交響曲を創って―
<河合>今日は録音ご苦労様でした。私もずっと聴いていたんだけど、まさに僕が思っていたような音楽が出来て非常に幸せに思っています。
この2つの音楽をどういうイメージ・コンセプトで作られたのか、オープニングとエンディングに分けて説明していただけますか?
<新垣>オープニングとエンディングの2曲は非常に対照的です。
オープニングは原子力の持つ力とか、これから進めていくんだいう約60年間の流れを表現しているんですね。過去のこととなりましたが、バラ色の未来だったということなんです。非常に力強く、躍動する感じ。ある意味、楽観的な音を前面に出したんですね。
それを3.11で断ち切られて、それ以降の世界、エンディングでは原発の風景が流れるのですが、海と山に囲まれていたというところ――原発それ自体よりも、山とか海とか波とかいうものを謳っているというか、その中に近代的で大きな建物があるっていうことを表現しようと思いました。
<河合>私、聞いていてね、オープニングは確かに明るく力強いんだけれども、でも、暗い未来を示唆するような…底抜けの明るさじゃなくて、いわば怖さを含んだ明るさのように聞こえたんですが、僕の理解はあたっていますか?
<新垣>はい。そういうところを含んでいると思います。
<河合>非常に複雑な和音なんですよね。単に耳に心地よいメロディというだけじゃない。で、最後のエンディングの方は、今、おっしゃったように自然を近代テクノロジーが害していく批判にもなっていて、それでいいのかということも言っているような感じがしたんですけど…
<新垣>はい。音楽は、(テクノロジーではなく)山と海に寄り添っていると。建物に対する複雑な気持ちも全部含めて、自然に寄り添う。
<河合>第一作はヒロシマでしたね。今度はフクシマで、言わば、核の悲劇を正面から捉える交響曲を創られた訳ですけれども、創られていて何か感じることはありましたか?
<新垣>実際、音楽は核とかを表現するものではまったくない訳ですけれども、でも同時に大きく感情というものを表現するものであるという気がするんですね。いろんな複雑な思い、嬉しいとか悲しいとかだけでないもの、そうしたものすべてを併せて全部きちんと表現したいと思いました。
<河合>あのね、今、聞いていて、音楽というものは悲しいとか怒りとか正義というものを直接的に表すんじゃなくて、直接は言わないんだけれども、人の心を動かすという芸術なんだなぁということが、改めてよくわかりました。本当にありがとうございました。