『日本と原発』トーク

脚本・編集・監督補:拝身風太郎 弁護士視点のドキュメンタリーに携わって

14/11/05

映画「日本と原発」の映画作りにおけるいわゆるプロフェッショナル部分を担当した拝身風太郎(おがみふうたろう)に、映画を弁護士河合弘之と一緒に作った感想を聞いた。

映画監督の役割と資質

Q 河合弁護士が映画を製作するという記者会見後、素人なんかに映画が作れるか……というツイートを見かけるが、やはり周りで支えた部分のほうが多いのか?

<拝身> もちろん、我々映像のプロが万全の体制で支えてますよ。でも、世の中のほとんどの人って、映画監督の役割をわかっていなくて“素人に映画が作れるのか?”みたいな疑問が出るんでしょうね。監督って立場は「これを描きたい、伝えたい」ってものを揺るぎなく持ってる人がなるんですよ。映像の知識とか経験なんて、二の次で、極端に言えば持ってなくたっていいんです。
そう言うものは我々が持ってる。
アイディアを出したり技術的なフォローがあれば、弁護士さんでも映画は作れるんです。例えば、焼き鳥の魅力を映画で伝えたいって強く思った焼き鳥屋の親父さんがいたら『炭火をみつめて』みたいな映画の監督ができる。そういうもんです。
あとは、支える我々をずーっと引っ張っていける求心力を持っているか。そう言う意味では、河合監督の監督たる求心力は抜群でした。この人、筋金入りだ~って解った瞬間から、スタッフ一同気合い入りましたからね。結束したし。


Q それでも、元々は弁護士だし、映画製作は一作目。言ってみればまったくの素人。そのサポートで苦労したなんてことはなかったのか?
<拝身> その苦労っていうのは、映像表現を河合監督が解ってくれないみたいなことですか? それは、なかったですね。
我々スタッフの進め方にうまく乗っかってもらえたからなんですけど。


先ず、海渡先生の綿密な構成があるんですよ。
普通だったら、それを映像向きにシナリオ化して、提案して、吟味して監督のOKもらって映像にしてって段取りを踏むんですけど、僕らは、いきなり映像にして「どうですか?」って見てもらうやり方をしたんです。
そうすると監督は「あ!こうやって表現するんだ。面白いね!OK‼」って、進め方だったんです。
もちろん「これは違う」ってなることも当然あって、そう言う時には河合監督からアイディアが出てくる。
それが、こっちが思ってもいなかった面白さがあって、僕らの方が、逆に“この人、頭柔らかいなぁー”ってデンキ走ったりもしました。
河合監督を素人と呼ぶならば、素人の方が面白いこと思いつきやすいのかもしれない。元々ルールなんてないのが映画だからいいんですよ。
そのアイディアも、原発問題を芯から捉えてるからこそ出てくるものなんで、僕らでは到底思いつかないものなんですよ。
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弁護士河合弘之と一緒に創ってみて

Q さすがに弁護士だなと思った河合監督のこだわりはなにか?

<拝身> 理論を万全にされてましたね。
あと、本質をどう描くか。
考えてみれば当たり前なんだけど、事実を積み重ねて本質に迫るのが弁護士さんと解釈してるんですけど、それが実は僕が普段の仕事で大切にしている事と通じてたんです。“本質は、こうだ。じゃぁ表現はどうする?”というプロセスを踏みながらの作業になるんだけれど、お互いに本質を描くことに対するこだわり方が似てるな、と思いましたね。
30年も歳上の河合監督には失礼かもしれないけど、そう感じてました。
あ、歳の話しを言えば、“本当に70歳なのか?”って何度か驚きましたね。

なんでも面白がるんですよね。興味を持ったらググッと。
編集を一緒にしてても「面白いね~、面白いね~」って。
そうするとこっちも、どんどん面白くっなって「監督、こういうのやってみませんか?」ってなって、新しいアイディアが生まれてくる。
これが、監督が持っているべき求心力って事なんですよ。



僕らは映像のプロだけど、ゲンパツは素人

 拝身さん自身は、この映画がどうあるべきと考えて作ったのか?
<拝身> <とにかく解りやすく>です。

河合監督も、海渡先生もだけど、脱原発に深く関わっている方は、“みんなこれくらいは知ってるだろう”と思っている部分がある。
ところが、僕のようなゲンパツ素人からすると、知らないことばかり。

でも、世の中の人のほとんどは、そうなんじゃないのかな?という思いがありましたよ。
“知らない”ということでは、河合監督、海渡先生よりも僕の方が遥かに長けてます(笑)からね。
わりやすくするために、海渡先生の構成をわざわざ途中でちぎって、後に回したり、突然違う問題を差し込んだり――論文ではできないような、映像ならではの手法で立体的に作ったんです。
つまり、感覚的に、難しい問題は忘れてしまっても、最後まで観てると、つじつまが合って理解出来るように仕掛けを作ったって感じです。
わかりやすくすることにこだわったのは木村結さんも同じで、結さんはお二人にバンバン言いたいことを言うんで面白いんですけど「原発の専門書作ってるんじゃないんだから!」ってよくおっしゃってました。
そうすると、両先生とも「そっか〜。わかった、わかった」って(笑)。



この映画は誰が観ても思うところがあるはず

Q では、映画は、ゲンパツ問題に詳しい人にとって、入門レベルということ?
<拝身> そんなことはないと思いますよ。相当、ゲンパツ問題に詳しい人でも、弁護士の視点で問題を捉えた人は少ないんじゃないですかね。
ああ、弁護士ってこういう風に闘っているんだ……ということがわかる映画は、この映画だけだと思います。

原発訴訟は、合理的でないものをあらゆる角度から理詰めで攻めて闘うことだと思うんですけど、この映画は、それと同じです。
冷静に客観的に表現することと、被災者の方達に寄り添うことの両方をやっている。

それこそが、河合監督の目指したものです――2時間ちょっとの短い時間だけど、その映画を観たら、原発の抱える本質的な不合理が見える映画になったんじゃないかと思ってます。
その意味では、相当詳しい人にとっても意味あるものになってると思いますよ。



新垣隆さんの音楽について

Q 新垣さんの音楽についての印象は?
<拝身> こういうことを言うと違うと言われるかもしれないけど、新垣さんはとても職人肌の人なんじゃないかと思いますね。

原発のある風景を連ねた部分で使われている曲は、映像的には自然の豊かな場所にプラントが建ってるという映像のバックで流れます。
新垣さんは、そのプラントを音で表現したのではなくて、取り囲む自然の波や風や鳥が飛ぶ様子を表現されていて、それが逆にプラントの異質感を際出させるようになってるんですね。
映像に寄り添ってて本当に美しい曲なんですよね。そう言うことを表現出来るのって職人だな~って思うんですよ。


それから、追加で作ってもらった原子力ムラの相関図に入れたシンセ曲もね、もう、頼んだ通り、ばっちりでしたね。
原子力ムラみたいな巨大な利権構造って、フツーに生活している人からすると反感を持つ組織じゃないですか。


河合監督が講演会で言ってた言葉なんですけど、この利権構造は、税金とか電気料金とかを使ってムラ内部で花見酒を酌み交わしているようなもんだって。
原子力ムラの相関図を読み解く下りは、そんな花見酒を、僕らは遠巻きに眺めてるイメージだったんです。

例えば、仕事で疲れてトボトボ帰ってきたら、遠くでお大尽達が花見酒を酌み交わしてるのが見えて、手に持ってたツルハシなんかを脇に置いて……なんだよ、こっちは毎日一生懸命、仕事してんだぞっと、ぼやく。いくらぼやいても太刀打ちできない。
そのイメージを新垣さんは、どこか馬鹿げた、どこか滑稽な感じのエッセンスが入った音楽に仕上げてくれたんです。


その音楽のお蔭で、相関図の下りが軽やかに観られるようになったように思っているんですが、それで、その後から古賀さんが出てきて、癒着はお友達関係みたいなものと表現する。
僕の中では、新垣さんの音楽のおかげですごくつじつまがあった構成になったんです。


――このインタビューの後、河合監督の最後のナレーション録音が終わり、映画は完成を迎えた。
周囲の説得・人探しから始まり、構想・取材・インタビュー、最後にはナレーションまで行った河合弁護士の映画と共に走った2年が幕を閉じたのである。

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